最近はどうかわかりませんが、
アイドルマスターのライブでは出演者がMC中に涙ぐんだときとかに
\ガンバレー/
という掛け声が聞こえてきたりして、
終演後にSNS(某ツイッターなど)が荒れます。
(参考)ライブのMC中に涙ぐんだ演者への「頑張れ!」は必要なのか??(Togetter)
これもまた一種の風物詩ではありますが。
なんども繰り返し批判されているMC中のがんばれ発言について雑談っぽく語っていこうと思います。
発言者視点で考える
まずはMC中に「がんばれ」というひとの立場に立って想像してみます。
目の前で演者が泣くのをこらえて、次の言葉を必死に絞り出そうとしてるとき、
例えるなら生まれたての子鹿が立ち上がろうとするシーンみたいなものでしょうか、
必死さに感銘を受けて応援の言葉をかけたくなる気持ちはわからなくはありません。
さらには運動会のときの親のように声を枯らして子供を応援するような気持ちでしょうか。
なんにせよ、がんばれという言葉はフランクに使われるものなので、自然と口から出てしまうこともあるのではないでしょうか。
第3者視点ではどうか
がんばれという応援のセリフですが、会場の他のひとから見たらどう感じるのか?
発言者がどんな気持ちで「がんばれ」を発したかに関わらず、
第3者からすれば、がんばれ =「はやく話せ!」のような威圧的な意味に感じてしまいます。しかもその掛け声のせいで逆にテンポが悪くなる。
演者からしてみても、自分の不甲斐なさで進行を止めている自覚があるところに追い打ちをかけられた気持ちになるのではないでしょうか。
がんばれーという人間はがんばっていない?
SNSでの愚痴で一番多い内容としては
「がんばれと平気で言える奴はがんばったことがない」
みたいなやつです。
その意見についてはどっちとも取れるなと思っており、
本当にがんばったことがないケースもあれば、あいさつ程度の気持ち × 感情が抑えきれなかった、というケースもあるでしょう。
なので結局は発信者がどんな意図で発言しようが、
受け手がどう感じるのか次第でなのだと思います。
MCはえんげき会
がんばれと言ってしまうひとの立場になったとき、運動会の親のような気持ちと書きましたが、
実際にはライブのMCというのは運動会のようなものではなくて、
体育館で行うえんげき会のイメージが正しいのだと思います。
もし、子供が劇のセリフを忘れてしまいパニックになったとして、
親が思わず「がんばれー」と叫んでしまったところをイメージしてみましょう。
他の観覧者からすれば空気の読めない親だと思うでしょうし、
当人からしても急に大声をかけられてよけい混乱するのではないでしょうか?
なんのこっちゃという話ですが、つまりはライブMCは舞台なのです。
よい掛け声とは
たまにライブMC中の掛け声にもかかわらず、第3者によい印象を与える掛け声があったりします。
MC中なのに掛け声が受け入れられる理由としては、
演者のMCの後押し(サポート)になっているかどうかなのかなと思っています。
そういった点で、がんばれという言葉はなんの後押しにもならないために受け入れてもらえないのではないでしょうか。
ただし、上手い掛け声といってもテンポやタイミングは重要だとは思うので狙って発言するのは控えたほうがよいかと思います。