どうも、せつ(@tatitutetotato)です。
“映画のような2人なら ゲームのようなストーリーなら こんなに切ない恋 絶対絶対ありえない”
そんな歌詞を生み出したミリオンライブが新しくMTWシリーズで(勝手に)色々と考えさせられる歌詞を投げつけてくれました。
ミリオンライブMTW16≡君彩≡のカップリング曲『パンとフィルム』です。(歌詞はこちら)(作詞編曲は佐高陵平(y0c1e)さん)
“嗚呼ありふれた けれど美しい日々よ 思い出と呼ぶには 鮮やか過ぎるフィルムたち”
最初は曲調だけ聴いていい感じの曲だな…と気になっていただけなのですが、聴いていくうちに歌詞の方にもじわじわと中毒性を感じていきずっとこの曲について考えるようになっていました。
おそらく失恋の曲だと思うんですが、思い出が色濃く残っていても前を向いて歩いて行こうとしてたりするけどやっぱりどこにでも”相手”の面影が残っていたりと、なんかこうビター&サワー&スイートって感じがしてます。
ここから下は考察と言うかこの歌詞どういう意味なんだろうとずっと迷子になっている部分を書き出してすっきりする企画。結論らしい結論も出てきません。というか誰か教えてください。わからないからこそ色々と想像が巡ってこんな文章を書いてしまうのがひとつのアンサー。
疑問点と考察
どんなストーリーなのか?
まずはストーリーの流れから。
とはいえ、いきなり“金木犀だった”からはじまるのがすでに神の所業です。
おそらく秋の花のキンモクセイや春のサクラなどが散りばめられているので季節が1巡したのかなと想像できます。
そこで、懐かしい風の匂いがしたりからかう声が聴こえたりと、誰かの面影を感じているフレーズがそこかしこに入ってきており、山崎まさよしみたいな感じでいつでも探しているのか探してなくても見つけてしまうのか。
つまりはおそらく失恋の歌。
登場人物の設定は?
この曲で印象に残るのは“幼いあたしを見つめる おとなの瞳が好きだった”の部分。
あたし = 幼い
きみ = おとな
という立ち位置だけでも想像がすごい膨らむ。
そして出てきた想像がこちら
- 学生と社会人
- 高校生と大学生
- 新社会人と社会人
- 幼稚園児と先生
- 幼児と親??
- 孫とおじいちゃん??
同い年のカップルであればいくら精神年齢的な話だったとはいえこの歌詞から想像できるような恋にはならなさそうだなと感じたのでやはり相手が年上なのかなと想像しています。
では、”幼いあたし”はどの程度の幼さなのかというところを考えていくと、幼いという字面だけで幼稚園から小学生くらいの恋、相手は保育士のお兄さんとか先生だとかを想像したりもしましたし、そうするとかなり離れた年上相手ならフィルム世代なのかも?みたいな納得感まで出てきたのですが、”あと一度抱きしめればよかった”や”最後の夜に交わした”あたりもあってそこまで低年齢の話でもないのだろうと判断。(なので相手が親やおじいちゃんというのも除外)
そうなると”あたし”の年齢としては高校生か新社会人あたりの”失った恋だけで進んでくには ちょっと長過ぎる”と考えることのできる世代。なので”幼いあたし”というのも精神的な幼さのことを指していると思いました。
Dメロ部分の“時はいずれ あたしを変えるだろう”という部分から、まだ失恋の名残が消えていない、失恋(別れ)からそこまで時間が経過していないのではないかと考えています。季節は一巡してるので1年以内とかとか。
でもサビのさいごの“寂しさ 遥か過ぎ去って”という部分があるので、吹っ切れたつもりで寂しさも感じていないけどまだ聴覚や嗅覚では振り切れていない???
また、同じ作詞のReTaleでは”君”と表記されているのにパンとフィルムでは”きみ”と表記されているのも、なにか…あるのか…?
タイトルの意味は?
そもそもなぜタイトルが『パンとフィルム』なのか?
歌詞の中ではフィルムはサビにもちょくちょく現れてきますが、パンに至っては湯気を出すだけの存在です。
カメラを趣味としていないのであまり詳しくはないのですが、調べてみるとパンとは撮影技法の一つで水平方向や垂直方向に動かしながら撮る技法のようで、スマホでもパノラマ撮影とかあるのでイメージがつくかなと思いますが、つまりは時の流れ的なものを表しているんじゃないかなと思ってます。
1番Bメロで椅子の足からパンの湯気まで下から上に視点をずらすことでその空間全てを表しているというまさに垂直方向の技法を歌詞に取り入れており、2番もシャツの襟という衣類の中では上の位置に来るものから靴の紐へと視点を下にずらしています。芸術家〜。
また、フィルムはカメラのフィルムを真っ先に連想しましたが、食品用の包装フィルムという解釈もできるのかなと思ったので、撮影技法とフィルム(撮影したもの)の対比に加えて、パン(食品)を美味しい状態に保存して閉じ込めておくという意味のダブルミーニングでもあるのかなと感じました。
そこまで考えてしまうと『パンとフィルム』というタイトルがアートの美学を放っているように見えます。
間違った恋なのか?
もうひとつ印象に残った歌詞に“間違えない恋なんて恋じゃないとか言って”の部分。とにかく歌詞が1音ずつリズムに乗ってるのが好きなのですがつまりは間違った恋をしていたということらしい。
そもそも「間違えない恋なんて恋じゃない」というセリフはどちらのセリフなのか?
歌詞だけを見ると幼いあたしを見つめるおとなの瞳の主(相手)のセリフだと思うのですが、音で聴いてると「『間違えない恋なんて恋じゃない!』…とか言って(笑)」というあたし側の独り言のようにも聴こえたんですよね。そうなると間違った恋だとわかるタイミングに違いが生まれるけど。
そしてこの歌詞は全編を通して愛ではなく恋の歌として描かれている。なぜ?
間違った恋とは冷静さを失った恋?世間的に見て不釣り合いな恋?もしかして不倫?”どこにでもある恋”とはいったい…。傷つきながら二人で笑ってるし…。
あと、“どこにでもある恋だあった”というのは普遍的な恋という意味と日常のどこにでも相手の面影がある恋という2つの意味があるっぽい。
死別説
ネットとかでは相手との別れが死別説みたいなのも出てました。そんな悲しい話に転がしたくはない。けれどパンの湯気やらなんやらと視線が下から上に行く表現が多く天に昇っていくメタファーみを感じたのとさいごに空が描写されるから言いたいことはわからなくもない。
他にもネットで見たのは最初のキュルキュル音はフィルムの巻き戻しを表現してるというのを見てなるほどみがありました。
結論
全然わからん
解けそうだと思ってやり始めたナンプレで一生詰まってるこの感覚。嫌いじゃない。
あとは超余談ですが、この曲は星野源だとかMrs. GREEN APPLEだとか色々なっぽさが言われてますが、すごく個人的に感じたものはUVERworldの『SHAMROCK』でした。最初はサビに似たような雰囲気を感じたあと歌詞にも少しだけ重なる雰囲気がありました。超余談でした。
さいごに、浅い考察ではあったけどなにか書きたくなる魅力がこの曲にはあったということだけ理解してもらえれば幸いです。