シャニデレ比較論 -「P」はPなのか?- – UNIque boX
シャニコミュ上げのデレコミュ下げ記事
シャニはP≠プレイヤーでモバマスはP=プレイヤーなんだけどデレステでもP=プレイヤーを持ち込みながら多重人格者を用意してしまったがために没入感もストーリー性も薄まったという話 https://t.co/7EfFUxbZf6— Setsu&P (@tatitutetotato) June 3, 2020
(参考)シャニデレ比較論 -「P」はPなのか?(UNIque boX)
シャニマスのコミュとデレステのコミュをPの視点から比較しようとした記事を読んでました。
たいていのアイマス作品の中ではボイスこそ「プロデューサー」なのだが、テキストでは「〇〇P」と表記されていますね。
しかし、シャイニーカラーズではプロデューサーはテキストの中でも「プロデューサー」と表記されていて、P ≠ プレイヤーということをはっきり線引きしています。
じゃないとあんなイケメンなプロデューサーに自分はなれない…。(敗北)
シャニデレ比較論 -補遺- – UNIque boX
こういういただいたコメントに答えていくやつも意外と見応えがあることがわかった。
ここに挙げた意見(批判)はまだ日本語で書かれてるから真っ当な部類なんだろうな…。 https://t.co/d5eKKYUR4G— Setsu&P (@tatitutetotato) June 3, 2020
そんなシャニPだからこそひとつの疑問が湧く。
お触りコミュって必要だった?
シャニP、お前はどこまで…
たしかタッチ(パイタッチ)できるコミュニケーション手段はリリースから少し経ってから実装された機能であったはず。(いつからだったか調べてもでてこなかったのでごめんなさい)
ゲームとしてはアイドルの親愛度や信頼度によって態度が変わるのでプレイヤーの意欲みたいなのが上がるから不要ではない(断言)のですが、
けれど、我らがシャニマスPが週のはじめに朝から気安く担当アイドルに触れるのかと考えるとちょっと疑問を感じる。
というか、原作の765Pだって営業やお仕事の合間に思わず触っちゃうくらいで、事務所で毎週触ってなかったのではないか?
この辺のゲームとしての要素と世界観としての要素がごっちゃになってるのがちょっと気になったという話でした。
逆に、シャニPくらいのイケメンプロデューサーならお触りはコミュニケーションの一環なのかもしれない。
確かにシャニPなら…、
プレイヤーの想像を凌駕するシャニPなら、
きっと気さくなコミュニケーションなのかもしれない!
一般人だからタッチしたときに謝られると悪いことをしてしまった気になるし、罵られると感謝の気持ちが生まれる pic.twitter.com/QruCdFGB0l
— Setsu&P (@tatitutetotato) June 3, 2020
自分はやはりシャニPではないようだ…。