どうも、せつ(@tatitutetotato)です。
みなさんはシャイニーカラーズでストレイライトのイベントコミュ『Straylight.run()』を見ましたか?
すごくいいコミュだったのでアルバムの鍵を使ってでも見てほしいっす。(当記事ではコミュの重要なネタバレはありません)
そんなストレイライトのコミュで出てきたセリフ、
それは相手の自由でいいと思うっす
嫌いならそれはそれでいい
好かれなきゃって思って振る舞うのは、面倒っす
冬優子に「クライアントにもヘコヘコしとけ」みたいなことを注意されたときのあさひのセリフです。
このセリフを見たとき、実際の人間関係やSNS的なところにも繋がってくるよな?という気持ちになりました。
目次
SNSで疲れてない?
ツイッターやフェイスブックなどのSNSをやっていると、突然嫌になることってありませんか?
理由のひとつとしては
思ったことを書き込んだらめんどくさい反論が返ってきた。
反論意見がこわくて正直な意見が言えない。
ということがあります。
つまりアンチに疲れてしまう現象です。
慣れてしまえばどうってことはないですが、初めて批判を浴びたときはすごい気分が沈みます。
好かれるひとにだけ好かれておく
正直な発言をするとたいていめんどくさい反対意見が飛んでくることになりますが、間違いとは言い切れない意見の場合は賛成派も必ず存在します。
しかし賛成派の場合はわざわざ「私は賛成です」なんてコメントがつきにくいというのも事実。
有吉とマツコ超いいこと言ってた
有「100人中2人のクレーム気にして謙遜入る奴がいる。98人のプラスの声は耳に入ってこないで、たった2人の嫌な言葉が胸に刺さる」
松「ネット書き込む人はその2人が多い。98人の普通の人は頑張れよって書き込まない」2/100の声でかいクレーマーに左右されることない pic.twitter.com/EpSbe26iBP
— ねね (@ccc9038568) February 7, 2019
結局は嫌われているひとには嫌われておけばいいですし、反対意見も自由に言わせておけばよいのです。
アンチがいないのは中途半端な存在
逆に言えば、反対意見が来ないような中途半端な言論をしていると賛成者も現れない微妙な存在ということになります。
「誰からも知られ愛される存在になる」という選択は並の覚悟で決めてはいけないのです。
例えば芹沢あさひがめちゃくちゃコンプライアンスに気を使うアイドルだとしたらプロデューサーやクライアントから怒られることも少なくなるでしょうが、代わりにきらめく特徴がひとつ消えてしまうように感じます。
どれだけ有名な人間でも必ず嫌いなひとはいますし、どれだけ嫌われている人間でも世界単位でみればどこかの誰かには必ず好かれます。(世間的に好かれているひとも身近にいるひとからは嫌な感情を向けられてたりなど)
というわけで、より好かれる(嫌われる)ためには自分の意見を発信することは避けてはいけないというお話でした。
さいごに
当記事は芹沢あさひ完全肯定的な内容で書きましたが、実際のコミュではあさひの正論に冬優子ちゃんが抗うことでとてもストレイライトな感じの展開になっています。すごくいいコミュだったので見てね。
あと、モラルやルール違反のSNS投稿(バカッター)はやめておきましょう。全世界発信でSNSを投稿する際は一番見られたくない人間(親や警察など)に見られてもいい覚悟のあるときだけにしましょうってルルーシュも確かそんなこと言ってた。(言ってない)